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茶の湯文化は日本のグローカル文化

信天翁(アホウドリ)喫茶主
医学博士 山中 直樹(宗直)

わび・さびの茶の湯文化−その7

わび・さびの茶の湯文化の始まりは、既に取り上げましたように、東山文化時代の足利八代将軍・義政に茶の湯を教えたと伝わる村田珠光を開祖とします。
その最初の資料は村田珠光が大和・奈良の古市郷の土豪・古市播磨澄胤に送った「心の文」と題される手紙だと言われています。

唐物を尊重する茶の湯の既存の価値観や美意識に対して、次の三点を主張しています。

・「和漢之さかいをまぎらかす」(和漢の境を紛らかす)、つまりは、日本的なものと中国的なものとの境を紛らかす。
茶の湯文化が、中国からの輸入品の尊重一辺倒であった状況に、国産品への価値性を認める美意識に目を向けているのです。
つまり、茶の湯文化にあって、中国から日本物を評価する始まりです。

・「ひゑかるる」(冷枯)の境地、「ひへやせ」(冷痩)の境地の大切さを説いています。
この「冷え枯れ」、「冷えやせ」は、当時、和歌や連歌の世界では、最高の境地と認められていた美意識なのです。
既に、歌の世界では、漢詩の世界から脱して、和の世界が確立していたのです。
和歌の世界では、わび・さびの美意識は、平安時代から鎌倉初期の公家歌人・藤原定家(1162~1241年)によって編纂された勅撰集「新古今和歌集」の時代には歌われていたのです。

・『心のかまんかしやう』(我慢我執)が、悪いことだとの指摘をしています。
そして良いものは良いと感激して、認める、素直な気持ちが肝心だと言っています。
つまり、既存の価値性を尊重しても、自己の美意識や心に正直でなければならないということです。
わび・さびの精神として、大切なのが、「正直なつつましさ」であるとの心といわれるゆえんです。
我慢我執の気持ちにこだわると、自分に素直さ、正直な心が消えて、自己判断によって、美しいものを美しいと言えなくなるのです。

また、逆に、知識に縛られて、慢心したり、我を張ったりする気持ちを持つようになって、初心者を軽く見下したり、優れた人を拒む心を持ってしまうと指摘しています。
そして、我慢我執にこだわった心を自分の師としてはならないと戒めています。
我慢我執のない向上心が大切としています。

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