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茶の湯文化は日本のグローカル文化

信天翁(アホウドリ)喫茶主
医学博士 山中 直樹(宗直)

オタピー茶の湯は日常茶飯の生活文化−3−市中の山居

今の世は、ITによる情報発信や交流のみならず、人々の直接の交流範囲も広まり、スピードと複雑さが増しています。
国際的な交流も盛んで、人々の価値感も多様で、変転も目まぐるしくなっています。
その変幻に、「その時、その場に"適した"」対応に迫られ、自己反省をする時間もなく過ぎていると感じられる毎日となっています。
そうした日常にあって、オタピー茶の湯が大切にする「市中の山居」が持つ意味は大きいのです。

「市中の山居」とは、ポルトガルの宣教師ロドリゲスが江戸時代の初期に著した「日本教会史」に記述されている、外国人から見た、茶室を表現したものに始まるのです。
西行法師などの隠遁的な草庵とは異なった意味を感じることが出来ます。
「市中の山居」は、自宅や仕事場を含めた社会生活環境で、「日常」にあっての「非日常」の場としての存在を示すものです。

私は、この「日常」にあって、「非日常」を感じる場や一瞬の時間は大変大切だと思っています。
「非日常」感は、「俯瞰思考」をすることの出来る時と場になると思うからです。
それ故にこそ、オタピー茶の湯は、「市中の山居」での茶を喫する場と時間を求めているのです。
そうした「市中の山居」として、自分の家があるのですが、名古屋の繁華街の代表たる栄のデパートの真っ只中にある友人のオフィス内の茶室での茶の湯を楽しんでいます。

ニッカボッカズボンで公共の交通機関を利用して、手持ちの茶碗から、その日の気分や集まる人達の好みを考えながら選んで、友人の好む「Ferrari」マーク付のリュックに詰めて出かけるのです。
古いもの好きの友人に、非日常感漂う茶の湯オタク先生が点前の手ほどき、指南をするのに、私もあやかるのです。

私は茶の湯の所作を無作為化することが出来るように楽しむのです。
一碗の茶を喫しながら、俯瞰的な思考と会話を楽しむ「且坐喫茶」となります。
中国禅宗(南宋)の中興の祖、六祖慧能や我が一休宗純の心に通ずる「外から見える形に拘り、囚われることなく」「入鄽垂手」の世界を求めるのです。

茶の湯文化は日本のグローカル文化
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