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且坐喫茶:日本文化のグローカル性

信天翁(アホウドリ)喫茶主
医学博士 山中 直樹(宗直)

日本語と英語・・7

日本語で歴史、特に"日本史"と、英語で言う「history」、「Japanese history」といった場合では、その意味を異にしている。

我が国の歴史たる"日本史"には、歴史上、起った事実のみならず、神話、伝説、創作、言い方によっては恣意性のあるデッチ上げと誘導がなされている組み合わせの混合となっているのが伝統だ。
英語基準で言う「歴史」とは言い難い。

ローマ在住で古代ローマ史やルネサンス期の研究と著作を行っている塩野七生が、「歴史」、「history」は、起った事実の積み重ねであるべきだと言っている。
その理由は「歴史」に解釈が加わると権力や権力者によるご都合や恣意性が入ってしまうからなのだ。
ギリシャは神話の多い国だ。
しかし、神話、伝説と「歴史」とは区別して教えられる。
トロイの遺跡やクレタ島のクノッソスの迷宮でも、歴史的事実として、遺跡が掘り起こされ、研究で明らかになると神話から「歴史」に変更されるのだ。

一方、"日本史"では我々が学ぶ日本書紀(720年)に基づいた聖徳太子に関する知識は後世の創作であって、日本「歴史」上の事実のような人物ではないと明らかになっており、多くの変更が必要なのだ。
我が国の歴史の根幹となっている天皇制について、天皇の称号を持って始めて実在したのは何世紀からで、その天皇は誰であるかは、多くの人達が知らないのが実情だ[私は天武天皇(673年)と思っている]。
天皇史にあって、壬申の乱で大海人皇子に破れた大友皇子が弘文天皇の称号を得たのは明治3年なのだ。

日本が「美しい国」であるためには、まず、神話や後世の創作を"日本史"から外して、事実を基本とした「日本史」として英語で言う「history」として、はっきりさせる必要がある。
我が国が、グローカル ジャパン、クール ジャパンとして気品と尊厳のある歴史を持つ国となるために、「歴史」は、国際基準に合わせることが不可欠だと言える。
権力による恣意性ある"日本史"を国民的に教えているのでは、日本の本当の美しさが国際レベルで尊敬されないのは明確だ。

IT上の無償のサービス「ウィキペディア」や「リナックス」が国家権力や金力を超える時代に、国家検定教科書の"日本史"は改めた方が良い。

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