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且坐喫茶:日本文化のグローカル性

信天翁(アホウドリ)喫茶主
医学博士 山中 直樹(宗直)

日本語と英語・・4

日本語の愛国心と言う言葉は曖昧さとすれ違いの危険を内包している。
我が国では、ナショナリズム愛国心と同意語として用いられていることが多い。
一方、パトリオティズム愛国心として用いられることは大変めずらしい。

しかし、英語ではナショナリズム「nationalism」とパトリオティズム「patriotism」とは異なった意味を持つ。
「nationalism」では、国家主義。
「internationalism、国際主義」に対する言葉として用いられるのだ。
 その愛国心は、「愛国家心」を意味する。
「patriotism」の意味する愛国心は、自分の国に対する自然な心。言ってみれば「国破れて山河あり」の心を意味する「愛国心」だ。

一方、日本語で愛国心は自分の国を愛する心となるが、この場合、nationalismを意味するのか、patriotismを意味するのか定かではない。
そこに、言葉の曖昧さから来る国民的な不幸があり、逆に、そのすれ違いを利用した誘導がなされることが少なくない。

日本語で愛国心について議論する時、nationalismかpatriotismとして用いられているのかをハッキリさせる必要があるのだ。
つまり、愛国心が「愛国家心」か、「愛国心」を意味しているかだ。
「nationalism」が意味する"愛国心"は国家主義的意味を持ち、時の政府、権力に従順な愛する心となる「愛国家心」。
要するに、政府を支配している政権国家に対する忠誠心を求めているのだ。

nationalism的意味の愛国心は我が国で言えば戦前の全体主義的国家に対する忠誠心を思い起させる。
一方、patriotismは、アメリカがロケットに「パトリオット」と名付けて、国を守ろうとしているように、時の国家権力、勢力とは無関係に、アメリカの国土を守ろうとの「愛国心」が込められているのだ。
日本人が生まれ育った国土、そこにある自然や文化を素朴に愛する心が「愛国心」で、patriotismを意味するのだ。

私は「愛国心」があるかどうか、我が国の国民に疑いを持つ状況にあるとは思わない。
しかし、「愛国家心」には色々あってよいのだから、必ずしも時の政府を愛する愛国心を持っている必要はないことになる。
それを強要するならば再び全体主義国家の再来の危険性を感ずるのも無理もない。
日常茶飯の茶の湯の心は、本来、自然な「愛国心」を育む自他楽精神から発生していることを忘れていないか。

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