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且坐喫茶:日本文化のグローカル性

信天翁(アホウドリ)喫茶主
医学博士 山中 直樹(宗直)

2006年新しい年

 日本は暗かった経済的なトンネルを抜け出して発展しようとする年が明けた。
日本が自信を失っている間に、世界はフリー、フェアー、オープンな基準によるグローバル化がはかられてきた。
しかし、グローバルな基準に従って、地球上の人類を単一な基準によって治めようとして、無理と混乱が生じている。
人類は、それぞれの地域で異なった環境条件下で生きるために、あらゆる努力をしながら文化、文明を築いてきた歴史を持つ。
地域固有の文化が自然環境と閉鎖的な生活集団で、無意識に形成されると、その価値観が至極当然として絶対的支配となる。
それ故に、他の価値観があることは、殆んど考えられない人達もいる。

私は人類共通の文明基準とすべきは「何人も価値観による選択の自由を持っている」だと思っている。
この「価値観による選択の自由」をお互いが持つ権利を保障するためには、如何なる条件が必要かということになる。
「自由と民主主義」の基準となるのは、人は「生まれながらに、法の前に平等で言論の自由、機会の均等」の権利を持つことだ。

多くの人類が文化的発展を遂げる過程で築き上げてきた基準だと思うのだが、この基準がグローバル基準として、国際社会に受け入れられるかと言うと簡単ではない。
何人にも「自由と民主主義」の権利を保障しても、現実は余りにも、「生まれながらに不公平」であるとの議論や意見が出る。
しかし、他人が個人にとって有利、都合が良い条件、環境とはを決めることは容易には出来ない。
個人個人にとって、「選択の自由」の連続が人生そのものなのだ。
選択によって生ずる差には自己責任が伴う。
ここで、決して忘れてならないことは、文明と文化を混合したり、誤ってはならないと言うことだ。
この文明基準と文化基準の相違を理解することによって、人がお互いに相手や不特定多数の人達に何を保障し、何が自由であるかが明確となって来る。
そのことによって、グローカルとグローバルとの相違点もはっきりしてくる。
私は人類の文明基準を必要条件として満たした上で人は始めて文化的自由を得ることが出来ると思っている。

人類の文明基準はグローバルに。
その上で、文化基準はグローカルの自由を保障すべきなのだ。
文化は、個人の「価値観による選択の自由」をお互いに認め、保障することに始まる。
「色即是空 空即是色」と「煩悩是道場」から[極楽]を求めて、まずは且坐喫茶しよう。

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