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信天翁(アホウドリ)喫茶主
医学博士 山中 直樹(宗直)

ビートたけしの「座頭市」

北野武(ビートたけし)監督の「座頭市」が第60回ベネチヤ国際映画祭特別監督賞銀獅子賞に輝いた。[HANA-BI]が第54回の同映画祭で金獅子賞を受賞しているので二度目の快挙だ。
ビートたけしはお茶の間テレビ番組でお馴染みの役者だ。今回の映画でも金髪の座頭市役を演じている。

最後のシーンは祭りでタップダンスのリズムで踊る村人男女の風景。画面は西欧の人達にも違和感を感じさせない。また、我が国の若い人達にも通常のチャンバラ物とは異なった面白さと近身感を感じさせる作品だ。

ストーリー的にも勝新太郎作の「座頭市」とは差がある。私の知る勝作「座頭市」の基本は次の様だ。悪いヤクザ集団が今日に通じる悪徳、ワイロ役人等と組んで良いヤクザ集団を負かして、そのテリトリーと利権を奪う。善良なる村民、商人を苛める。そこに座頭市が現れてバッタ、バッタとやっつけるのだ。

ビートたけしの座頭市も切りあう画面は同様だが、ストリー構成には差がある。悪いヤクザ集団が支配する村があるが、良いヤクザ集団との争いは問題でない。ビートたけしの座頭市は個人として、悪い組織集団と対決する。その戦う過程での情報戦に主眼がある。

ヤクザ集団はその頭領が集団内でも誰なのか良く判らない。それが組織集団のコントロール法で、情報を得るシステムともなっている。完璧なる組織内の人身把握であり、外敵に対する情報確保ともなっている。親分は村民が集まる居酒屋を営む良き村人を装う。老いた雇人が頭領なる組織の長だ。
それとは知らずに居酒屋に来る人達はそこでいろいろな話をするから情報収集となる。座頭市もワナにはまってあわや斬られると思いきや大逆転となる。

座頭市の情報確保法が完璧を誇るヤクザ頭領、親分の裏をかいた。具体的には映画を見てもらいたい。盲目なる座頭市は、目明きにはない音、声、においから情報を得ていたのだ。目明きならば外装でだませても、盲人はそうはいかなかった。頭領たちは意識せずに発していた音、におい等で座頭市に情報を発信していた。そこに落とし穴があり、頭領たちには予想外の事が起こってしまった。

そこに、今回の「座頭市」で北野監督の我々に対する明確なるメッセージがある。日頃、我々はいろいろ見て、考え、工夫して物事が判っていると思っても盲点はある。それ故に「明き盲目になるな」と言っているのだ。五体満足と思い込む人がハンディキャップのある人達,弱者と思っている人たちに対して優越的と思っていることはないだろうか。

ハンディや弱者と言われている人達でしか判らない、人間社会での問題があるのだ。自然に対しても同様だ。人間は、何人にも優劣の目では見ることが出来ない特異なる能力、弱点、個性を持っていると言うことだ。前回、作家の平野師が指摘したことだ。

誰でもが基本的人権をもって健全なる社会生活をする権利を有するのだ。その上で、何人も責任と義務を持つ社会人として振舞える社会環境の整備が必要なのだ。表面的な優しさで社会的に引きこもらせて弱者にしてしまう体制、風土は防がなければならない。身体障害者補助犬法など大切だ。障害者基本法の抜本的な改正を行って社会進出を促すのだ。
「明き盲目」と言えることは何人にもある。今日の世界で起こる「愚かさ」は明き盲目の人達が多すぎるからではないか。

ビートたけしの「座頭市」的社会事件で起こったことは現代社会でよく見られる。政官財労学民等のいずれを問わず、閉鎖集団の不当、横暴な弱者いじめ、つまり、「座頭市」現象は日常茶飯だ。市民座頭市の出現が必要だ。
Imagine All the People Living Life in Peace(John Lennon). Tender Loving Care Mindを忘れないことだ。独座喫茶で自分自身の心の目を開こう。

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