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インターネット公開文化講座

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シリーズ 分かりやすい「わび・さび」 日本美術をより深く理解するための一考察

日本骨董学院・学院長
東洋陶磁学会・会員
日本古美術保存協会・専務理事 細矢 隆男

民芸品と「わび・さび」

 前回の『「わび・さび」と人の生きざま』では村田珠光や一休禅師、足利義政、利休などの生きざまとわびさびとの関わりを平安時代の和歌とともに検討した。これらの人物については更に踏み込んで、最終回に書いてみたい。 

 今回は前回の最後に書いたように、茶道の中心を形成するのは信長、秀吉など当時において一級の政治家であり、僧侶、文化人、豪商たちであって、文化というものは、いつの時代でも富裕な特権階級が築いてきたという歴史がある。
 今回は民芸というジャンルを対象にその「わび・さび」性を考えてみたい。


素朴な盆にのる明治期の美濃の蕎麦猪口

 大正時代終わりから昭和の初めに柳宗悦(やなぎむねよし・1889-1961)による民芸運動が人気を博しつつあった。柳は朝鮮(今の韓国)で営林業を営んでいた浅川伯教(のりたか)、巧(たくみ)兄弟から誘いを受け、朝鮮に旅し、そこで彼らからすばらしい李朝の焼き物や工芸品を紹介されてめぐり会った。柳は民衆の中に育まれた美に眼をひらかれ、同人の濱田庄司、河井寛次郎、富本憲吉、イギリスの陶芸家バーナードリーチとともに「民衆的工芸」を略した「民芸」という美術の新ジャンルを考え、新しい美術理論を展開した。身近な、庶民生活の中で使われる道具類に無上の美を見いだしたのである。今まで茶道や古美術の「美術」という、いわば踏み込みにくい道楽性に抵抗を感じていた人たちが、手にいれやすく、わかりやすい「民芸とその理論」に飛びついたといえる。


これ以上ないという簡素さが民芸の魅力(李朝くりぬき盆の数々)
大きいもので50cm

 「民芸論」の骨子は「用の美」つまり使いやすさにこそ合理性があり、その合理こそが美しいのだとかれらは主張した。また作者自身を主張しない無銘性や、大量制作ゆえの安価をその根幹とした。その考え方はすばらしいものである。古くから民衆に愛され、使われてきた作者不詳の日用品に新たな眼を向け、「上手」すなわち仁清、乾山、光悦、光琳、楽家代々の茶碗などの、当時最高の美術品より民芸品にこそすばらしい味わいがあると主張した。この民芸至上主義の考えと柳の帝展工芸作品への批評を読んだ北大路魯山人から厳しくその矛盾を批判された。魯山人の批判の骨子は以下の三点に凝縮されるだろう。
 少し長くなるが、民芸論を知るには重要なので取り上げてみたい。以下「 」内は北大路魯山人が1930年にタブロイド判「星岡」に「柳宗悦氏の民芸論をひやかすの記―帝展工芸評を読みて―」からの引用である。

1「柳氏は豊かな生活をしており、民衆の感覚とはかけ離れている。家、服装、持ち物、乗り物など、すべてが民衆レベルではない。また柳氏の夫人は声楽家であり、郷土の歌舞を顧みないで外国人の声色を使う兼子夫人に注意を与えるべきだ」と指摘した。海軍少将の家に生まれ、麻布にある高級な家に住み、最高級の服を着て、ピカピカの靴を履き、常に列車では一等車に乗り、使用人にかしづかれ、当時は皇族の学校であった学習院に通った、いわば貴族であり、きたない地面に這いつくばって生きてきた庶民の生活レベルなど経験したこともないし、したがって民衆の生活のことなど分かるはずがないと魯山人は主張した。

2 柳は上手の作品をどの程度知っているか疑問とし、魯山人は柳に次のようにいう。
「上手がわからないから下手に走ったのではないか。下手には命があり、純真であり、無欲な美があるというが、上手にも同じ心がある。上手の作品を鑑賞できる心眼・能力があればやってみよ。こちらにはそれらの品がある。もし識者と見なすべき確証が得られれば、君に跪こう。信者となり膝まづく理由はいうまでもなく、氏の上手物下手物に対する比較研究上の理論が成り立つからであって、彼の下手物を喜ぶこころが間違いではないということ、また彼のいう下手物の価値をみとめてよいということになるからである。床の間より台所へを高唱し、実用安価を工芸の根幹なりと主張する一方において、自己のもっとも是認する同人濱田氏(濱田庄司)作土瓶15円、醤油注ぎ1個5、6円の売値を平気で許しておるがごとき行為は大いに彼のいうところと矛盾している。富本氏しかり、河井氏しかり」
 土瓶1個3銭から5銭程度の時代に、15円の濱田の土瓶は現在の価格に換算すると75万円前後に相当する。これは当時でも法外といえる値段で、民芸の中で生活する庶民では、とうていこの「民芸品」は買えないという矛盾を抱えることになる。

3 柳氏のものを見る観点
 「帝展工芸作品を見るのに柳氏は2日もかけた。私なら1時間、多くても3時間あれば十分だ。いかなる芸術といえども線をもって成り立ってないものはない。たとえ一寸でも二寸でもその線を凝視するとき、もしその線にして、審美なく、純に欠くるあり、賎しく弱く俗悪、ただ虚飾存するのみときては、あえて全体の作品振りなど見るまでもない。そうした習慣を持ち給え」これは書の大家である北大路魯山人の美術を観る視点が知れる重要な言葉といえる。
 しかしこうした批判をあびても柳宗悦はこの魯山人の民芸攻撃に何も反論しなかった。この攻撃は民芸運動に大きな痛手をおわせた。論争を挑まれた柳宗悦と民芸論者はこの魯山人の民芸攻撃については無視を決め込むが、私は無視せず、真摯に応えるべきであったと思う。そのため「民芸論」は人気が落ちた。中には古民芸品の味わいを「わび・さびの世界」と混同する人たちがでてきているようであるから、ここではその点について述べてみたい。


李朝くりぬき盆に乗っている笠間の急須と益子の皆川マス絵付けによる夫婦茶碗

 柳はその著書「茶と美」の中の『「喜左衛門井戸」をみる』で、国宝、大徳寺孤蓬庵所蔵の大井戸茶碗「喜左衛門」を民芸論者から観た最高のシンボルとして紹介している。そこでは「大名物中の大名物」とか「茶碗の極致」、喜左衛門井戸茶碗を「恐らく一器物の美に向かって、人間が払う最高の経済がそこに含まれている」ともいう。しかし柳はこの大名物の正体としてこう続ける。「それは平凡極まるものである。・・職人は文盲なのである。・・安物である。・・焼物は下賤な人間のすることにきまっていたのである。これほどざらにある当たり前な品物はない」と。さらに「貧乏人が普段ざらに使う茶碗である。・・台所で使われたものである。相手は土百姓である。」民衆の、民衆による、民衆のための民芸を指導する柳にはふさわしくない言葉がつらなるのが気になる。

 それでは現在、日本の国宝はどのように決まるのであろうか。それは文化審議会文化財分科会が文部科学大臣に答申を行うことにより、決定される。基準は「誰が観ても美しいこと。存在が唯一無二のものであること、伝来がきちんとしていること」などである。どこにでも転がっているようなものや、安物、平凡極まりないもの、台所で使われるものではとうてい国宝には指定されない。平凡極まりないものは国宝には指定されないのである。

 こうした柳の民芸論に対する批判は後を絶たない。元法政大学教授の栢野晴夫(かやのはるお)氏はその論文「李朝白磁と柳宗悦」の中で気迫のこもった批判をされている。また出川直樹氏もかねがね柳宗悦の民芸論への批判をされている。
 私はそうした批判も当然とは思うが、「民芸」の発見はあっても、「民芸論」というように、一つの美への見方を「論」として規定することはもともと無理であると思う。「下手のもの」を「上手のもの」より美しいというのは独断以外のなにものでもない。魯山人が批判の筆を執ったのもうなずける。日常品を「茶道具」に見立てたことは、すでに民芸以前から、というより茶道の成立当初からあったのである。素材での分類は可能であるが、美の基準での分類はむつかしい。どれかが、ほかのものより美しいというのは、あくまでも比較による主観である。すべてを比較することはできない。
 しかしそれでは古美術品はなぜ価値をもつのか?古美術品の評価はその主観の積み重ねであり、そこには何百年、いや千数百年も昔から愛好者に長く愛され続け売買されてきた歴史があるからである。いわば長い愛好者のフィルターを濾過してきたものであるから価値を持つのである。そのどこかのフィルターにひっかかった作品は捨てられるか廃棄される。したがってすべての時代のフィルターを通ってきた古美術品には普遍性とでもいうか、いつの世でも「これは美しい」と愛好者から絶賛される特質をもっているのが「古美術品の美」の特徴であるといえる。
 先に述べた民芸作家は自分の作った土瓶に75万の値をつけた。それは自分の作った土瓶がそこらの土瓶と違うと思ったからだろう。その意識の隙間を魯山人に鋭く突かれた。
 手に入りにくく、美意識が高く、誰もが欲するもの、まれなる名工のみが作りうるもの、日本にはないもの、すなわち異国からの伝来もの、そうしたものの評価は高額である。
 先にも述べたように、数多く制作されることが民芸の基本であり、したがって無銘で安く、誰にでも手に入るもの、これが民衆の生活に根ざす「民芸品の条件」であろう。私はあえて民芸という分類にこだわるなら「装飾性」が排除されたものとして考えている。華美な絵柄、精緻な彫刻、高価な金属が付属する場合は「民芸品」とは認めない。金具に見事な彫刻の入る佐渡箪笥や仙台箪笥は民芸品ではなく「骨董品」と分類する。必要なものが、最小限シンプルに付属する。必要以上の装飾はいらない。それが民芸品である。日常の使用頻度の高さはその利便性と経済性を物語っている。それは便利で使いやすいということである。そこには愛着、合理性はあっても道楽性はみられない。その道楽性、美的希少性ゆえに愛され、意識的に大切にされ、そして使われ古びてゆく、その崩壊への過程を経年変化というが、その変化を美的に楽しむのが「わび・さび」であると私は考えている。したがって誰にでも安価に手に入り、その利便性から使われた道具の摩耗は「古びの美」ではあるが、それを私は「わび・さび」とは思わない根拠はそこにある。


河井寛治郎の湯飲み(河井紅葩箱書き)

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