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シリーズ 分かりやすい「わび・さび」 日本美術をより深く理解するための一考察

日本骨董学院・学院長
東洋陶磁学会・会員
日本古美術保存協会・専務理事 細矢 隆男

「わび・さび」と人の生きざま


わび・さびの石仏・六地蔵(室町時代後期)

 前回、村田珠光について書いた。その最後に珠光の弟子で、利休の師である武野紹鴎の「枯れかじけ寒かれ」という言葉をあげた。これは連歌師である心敬の言葉から引用したもので、侘び茶の心をよく表現している。また武野紹鴎は平安時代の有名な歌人、藤原定家の歌
 「みわたせば 花ももみぢも なかりけり 浦のとまやの 秋の夕暮」
という歌を「わび」の心であるとした。

 今回はこれら茶の源流をなす先駆者たちの「わび茶」への想いと世界観について書いてみたい。

 「枯れかじけ寒かれ」という言葉のかじけは、やつれる、生気を失う、かじかむ、やせ衰えるという意味の古語である。自分が枯れて、やつれて、生気を失い、やせ衰えてかじかんでいる。しかしそれは実際にそうであるということではなく、精神の自由さ、はつらつさ、独立性は決して失わない。そうした状況を「心象風景」として胸に押さえておくだけで、それはいわば彼らの世俗的権勢や武力に対する自分の心の「誇り」ともいうべきものなのである。ここでは心の、精神の独立というものとしてとらえるべきであろう。


わび・さびの壺 渥美 平安後期

 村田珠光の師の一人である一休禅師は、晩年に今でいう「掘っ立て小屋」を作って住んだ。何もない、本当に最小限の道具を持って、竹藪の中に住んだ。「徒然草」で有名な吉田兼好は、家は夏を旨としてつくるべしといった。冬はいくら寒くても、火を焚くとか、厚着すれば何とか過ごせる。しかし夏はたまらない、特に京の夏は暑い。裸になってもそれ以上は暑さをしのげないから、床は高く、風通しをよくして、太陽光線をまともに浴びない、そうした夏対策をした家に住むべきだといった。
 一休禅師はそうした家として竹藪に掘っ立て小屋をつくって住んだという。竹藪の小屋は冬でも比較的暖かく、夏は涼しい。嵐の時には竹藪が守ってくれる。その小屋で何も持たない生活を楽しんで死んだ。将軍足利義政は贅沢な生活の果てに、夜の美学にたどりついた。それも「道楽」の末の真理への到達といえる。

 一休の生き方は「反骨」の一生であるから、「誇り高き」生き方といえる。一遍上人が「捨てる」人生の後半をおくったように、徹底的に「捨てる」。持てる物を捨てる、西行が子供を蹴って捨てたように、家族も捨てる。空也から一遍に至る浄土教の世界は「捨てる」ことを重視した。さらにその捨てる心をも「捨てよ」と一遍はいったという。それは禅宗においても同じであろう。
 「わび」とか「さび」というと、何か近寄りがたい、むつかしい概念のように思えるが、意外に簡単なこと、素朴なこと、素直なことなのではないかと私は思う。

 さりげなく目立たない生活、欲も権力も無縁な一休の最後の世界。「誇り」も「反骨」も捨てた世界。ここが「わび」「さび」の原点、出発点ともいえるのではないか。武野紹鴎の「枯れかじけ寒かれ」はまさにこのことを言っているのではないのか。それは村田珠光から受け継がれた考え方であり、また村田珠光が一休禅師から学んだ「真理」ともいえる。ここが「わび」「さび」の原点で、信長、秀吉の豪華、贅沢を通り越した絢爛な権力美学の対極の世界なのである。
 自然に従順に生き、世の無常と空の世界を生きて、一度しかない人生を無駄に消費せず、冷徹に見つめ、正しいと思う生き方を全うして生きる。そうした生き方を「悠然」と楽しんで生きたのが一休なのかもしれない。


わび・さびの壺 渥美 平安後期

 先の平安時代の有名な歌人、藤原定家の歌
 「みわたせば 花ももみぢも なかりけり 浦のとまやの 秋の夕暮」
という歌を武野紹鴎は「わび」の心であるとした。
 意訳すると「今の自分のありさまを考えてみれば、花ともみじに例えられる、かつての華やかな権勢と豪華な生活とは縁のない、ひなびた人里離れた浦に、ひっそりたたずむ粗末な家ですごす、人生の秋にふさわしい静寂に満ちた最後の幸せなひとときであるように思えることよ」という解釈になろうか。

 人の生き方とはむつかしい。でも簡単ともいえる。信長のように権勢を誇った末に本能寺で横死するか、秀吉の辞世の句のように「なにわのことも夢のまた夢」と無常の言葉を残しつつ、親としての秀頼への未練を残して死ぬか、家康のように大切な妻や子を犠牲にしながら重き荷を背負って生き延び、子孫に長い徳川政権を残すか、一休のように悠然と反骨をつらぬいて竹藪の中の掘っ立て小屋で自分の生きざまを生ききるか、利休のように、自分と自分の確立した茶道を守るために権力に対抗して切腹するか・・・人の生き方と死に方はさまざまである。


わび・さびのやきもの 渥美・経塚外容器 平安後期

 運命という一言でくくる考えもあろう。しかし運命といえど自分の選択の延長線上にある結果だともいえる。危険な権力からは逃れたい、しかし自分の夢を実現させるためには権力の傘の下にいる方が早い。家族、友人、恩人、上司など、人生のさまざまなしがらみからはなかなか抜け出ることは難しい。心の中ではわかっていても、愛情と欲と生き死にのかかった現実のしがらみの中での判断、選択は、次第に本来の自分の目指す生き方とは違う、危険な精神的な矛盾の中に自分を追い込むことになりやすい。

 しかし、ただここではっきり言えることは、彼らの生き方は一般の農民や市井に生きる庶民の生き方とは明らかに違うということである。

 この辺りをもう少し次回では考えてみたいと思う。


わび・さびのやきもの 絵志野盃 桃山時代

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