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シリーズ 骨董をもう少し深く楽しみましょう

日本骨董学院・学院長
東洋陶磁学会・会員
日本古美術保存協会・専務理事 細矢 隆男

李朝・鶏龍山のやきものを訪ねる

 前回に引き続き、韓国の陶器の代表格である鶏龍山のやきものを見て行きましょう。
韓国の歴史は日本に大きな影響を与えていますが、焼きものから見たその歴史は大きく分けると次のようになります。

 統一新羅時代 669年から935年
 高麗時代 918年から1392年
 李朝時代 1392年から1910年(明治43年)

 今回の鶏龍山のやきものはこの3番目の李朝時代の初期、李成桂による李朝建国1392年から秀吉による朝鮮出兵でやきものが大きな打撃を受ける1598年あたりまでが粉青沙器の全盛期の時代といわれています。
 この粉青沙器は粉粧灰青沙器の略とされ、色のある土であったため、美しく見せるために白土でさまざまに装飾、化粧掛けされ、そこに灰釉の掛けられた陶器をいいます。

 日本では一般的にお茶の世界では「高麗物」として親しまれてきました。もともと中国の青磁や高麗物は芸術的にもすぐれた最先端技術で作られており、さらに危険な海を渡って日本にもたらされたものであるだけに極めて高額でした。ですからこうしたやきものは日本の茶道にとって、お手本的な存在であり、憧れ的なものでもありました。いまだに李朝の茶道具が骨董マニアの間で愛好され、取引されている理由でもあります。
 また日本のやきもの世界には古くから「侘び・寂び」といわれる美学世界があり、気に入った良い作品を徹底的に長期間使い込み、その作品が変化してゆく過程を楽しむという、世界にはない、極めて高いレベルの美学があります。日本人が四季の変化を楽しむ中に、特に秋や冬に人生や人の生死をも重ねて想ったように、すぐれたやきもので茶を喫する折々に、そうした思いをその茶碗や茶道具の変化(劣化現象)に観たのでしょう。それはまさに仏教的な世界観とも合致したものであったともいえます。
 そうした「侘び・寂び」がもっとも顕著に出たのが李朝・粉青沙器でした。骨董マニアの言葉に「日本人は信楽と李朝で死ねる」というのがあります。もちろんこの場合の日本人とは「日本の茶人・骨董マニア」という意味ですが、広く日本人と解釈してもいいのかも知れません。死ねるというのはオーバーな表現ですが、死ぬほど好きだということなのでしょう。
 また李朝の鶏龍山のやきものを日本人は「三島」と呼ぶことがあります。これは静岡県の三島市にある三島大社が昔から発行する「三島暦」の文様に、李朝のこの作品の型押し象嵌文様がたまたま似ていたことから、茶人が名付けたものといわれています。
 それほどに李朝陶磁器の魅力はさまざまな意味で日本人の心の奥底にまで浸透していったのです。

 鶏龍山は韓国のほぼ中央部に位置するやきものの産地でした。やきものの成立条件には(1)やきものに適した土 (2)赤松などの薪 (3)水(川・湖・池など)(4)傾斜地(窯を築くため) (5)やきもの技術 が必要とされていますが、やはりもっとも重要なのが「土]でしょう。やきものには土が必要ですが、どのような土でもいいという訳ではありません。やきものに適した「土」には微粒・大小の長石が含まれるのが条件です。これらの微粒子の長石が窯の1000度以上の温度で融解して、微粒子が溶けて液状化して土の成分をまわりから包み込み、それが冷えると浅草名産のお菓子の「おこし」のように固くなり、水も通さぬ「やきもの」に変質するのです。それを科学者の内藤匡(ただし)さんは、やきものの「おこし」現象といいました。粟や米が土で、水飴が長石と見立てた訳です。「やきもの」といわれる根拠はまさにこの変質にあります。
 そのやきものに適した条件の良い土がこの時代、鶏龍山で採れたことから、この地が一大陶器の産地になった理由です。それにともなう諸条件が満たされたことも大きな理由です。

 ソウルからバスで3時間ほどの所に鶏龍山があります。鶏のトサカのような形にウネウネと山が連なり、一方の山はあたかも龍が飛んでるように悠々とした山並みを見せているので鶏龍山といわれているようです。この窯あとは鶴峰里という場所にあります。歩いてみると、このあたり一帯で大量に焼かれたことがわかります。散乱した陶片があちらこちらに散らばっています。一番重要な窯場はフエンスで囲われていて、中には入れませんが、まわりは山野で歩けます。何十年も昔にここらで拾った小陶片はいい勉強材料になっています。(掘ることは禁止されています)
 古い記録によれば、この鶏龍山では陶器3の(粉青沙器)に対して1の白磁が焼成されたとされています。すなはち4個のやきもののうち3個が陶器(釉薬の掛かった土系のやきもの)に対して1個は白磁・磁器(カオリンを主体とした白く固いやきもの)が焼かれたとされています。

 使うほどに変化することを古美術・骨董愛好家は「育つ」といいます。かわいい子供が日々成長する様を見ているようなよろこびをそこに感じるのでしょう。
 使うよろこび、鑑賞するよろこび、歴史をたのしむよろこび、技術を知るよろこび、こうしたさまざまなよろこびを味わえるのが古美術・骨董の世界なのです。


鶏龍山の唐草文徳利と昔に拾った陶片、めずらしい白磁徳利

粉青沙器の一種、刷毛目の技法による茶碗2碗
右の茶碗は、長年使われて、「侘び・寂び」の感じがよく出ている。

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