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シリーズ 骨董をもう少し深く楽しみましょう

日本骨董学院・学院長
東洋陶磁学会・会員
日本古美術保存協会・専務理事 細矢 隆男

エジプト美術と宗教の魅力

今回は私がかねてより注目してますエジプト美術につきましてお話したいと思います。

エジプトといいますと、どなたも「ツタンカーメン王の秘宝」のことを思い出されると思います。
ツタンカーメン王の発掘にまつわる、たたりとか呪いということが、一層ツタンカーメン王の神秘性を高め、人々の注目をあびたことは否定できません。もちろん、理性的に考えれば、いまから三千数百年前の王の呪いなど、有り得べからざることであることは分かる訳ですが、それだけ古代エジプトの文化はある意味で異文化であり、ミステリアスな文化であったと言うこともできるでしょう。

私はここ数年、日本の仏教文化とエジプトの宗教とが極めて近似性を持っていると思い、研究を行っております。
今年の二月にはこうした点に重点を置き、エジプトを旅行して多くの遺跡、博物館、美術館を見て回ることができました。
それはまた次回から詳細にお話ししたいと思いますが、今回はそうしたことの原点であるエジプトの死生観と日本の仏教の一つである「浄土宗・浄土真宗」について阿弥陀如来を中心に私の考えを述べてみたいと思います。

古代のエジプトでは、ナイル川は非常に重要な川であり、それにこそ文明の成立前提がありました。
歴史の父と言われたヘロドトスという紀元前5世紀のギリシャの歴史家が「エジプトはナイルの賜物」と言いましたが、それは農業国としてのエジプトにとってナイル川は何物にも代え難い川であったからなのです。 ナイルは毎年増水、氾濫をくり返しましたが、その定期的な氾濫が肥沃な大地を形成し、ただ単に種を蒔きさえすれば作物は豊富に生育したのです。
ですからその莫大な農産物によってエジプトはとてつもない経済力をつけたと考えられます。

まさに「エジプトはナイルの賜物」という訳です。そのナイル川の東側、すなはち日の出る方向(生が始まる方向)である東側に、人間たちは生活したといわれます。
墓や神殿、王族の墓である「王家の谷」は死の国、すなはち西側(日没・死の方角)の地にあります。このようにエジプトは国そのものが生者の東側の国と、死者の西側の国に分かれていたのです。
その間にナイル川がまさに三途の川として流れていたのです。


ナイル川西側のエジプト神殿

さて、日本の平安時代に「往生要集」を著した源信僧都やその影響を強く受けた法然上人、親鸞上人によって広まった「浄土宗」「浄土真宗」において、彼らは「南無阿弥陀仏」という六字名号をとなえれば、誰でも極楽浄土に行けると説いたのです。これによって当時最下層といわれた人々まで、皆が極楽浄土に行けると信じた訳です。
ところで極楽浄土という考えは一体どこから来たものなのでしょうか。

お釈迦様はあるお弟子さんから「人間は死んだあとはどうなるのでしょうか」と問われたときに「私は死んだことがないから分からない」と答えたそうです。
ではなぜ仏教に死後の世界である極楽浄土とか極楽浄土の盟主と言われる阿弥陀如来がいるのでしょうか?
お釈迦様が分からないという極楽浄土についての考え方があることすらおかしいのではないでしょうか。

実は阿弥陀信仰のルーツはエジプトにあると考えられます。エジプトにはオシリスという冥界(日本ではあの世とか地獄・極楽浄土)を支配する神がいます。
彼は現世の国である東側から、死後舟に乗って渡ってくる死者の裁判を行うのです。死んだ人間が生前、よい行いをしたかそうでないかを審判して、その結果、悪いことを行った人間は地獄に落ち、良い行いをした人間が極楽世界に行くことが約束されたのです。それは「死者の書」という本に書かれています。
ここでのオシリスは、まさに閻魔大王そっくりです。またナイルは日本の三途の川に該当します。その舟の舳先には鳥がとまっています。
九州にある装飾古墳の壁面の中に、死者をあの世に運ぶ舟の舳先に鳥が描かれています。エジプトでは鳥は死者の魂をあの世に送り届ける重要な役目を担っているのです。 王家の谷のファラオたちの墓の壁面にもこうした絵は残っています。

エジプトにおける来世観はまさにファラオの願望です。死とは不可解な現象であったのでしょう。どうして死ぬのだろうか、また死んだらどうなるのだろうか。
自分は死んだら生まれ変わるのだろうか?こうした考えがあの世での復活という考え方を作り上げていったと考えられます。
死んでも豊かな生活をしたい、またいつかこの世に再生復活したい、その願望がファラオをしてミイラをつくり出させたのです。死後、魂は空中を浮遊して、いつか体に戻り、復活できると信じたのです。
ですからその魂が戻るべき体を永遠に保たせるように防腐処理を施して、ミイラをつくりあげたのです。内蔵を保存するカノポス壺もあります。
復活に絶対必要な内臓だからです。

こうしてみるとエジプトの冥界の主であるオシリスと閻魔、阿弥陀如来は極めてよく似ています。阿弥陀如来はインドからきた仏様ですが、エジプトからメソポタミア、インド経由で日本まで遙かな旅をしてきたと考えられます。
そうしたことを考えますととてもおもしろいことがいろいろわかります。エジプトの美術はこうした死生観にのっとったものが多く、それらは貴重な人類の遺産であり、美術であるのです。
次回はもう少し踏み込んでエジプトの有名なファラオ、ツタンカーメン王の遺品についてお話いたします。


生命のシンボル アーンク
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