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骨董で贋作をつかまないシリーズ

日本骨董学院・学院長
東洋陶磁学会・会員
日本古美術保存協会・専務理事 細矢 隆男

箱書きのみを信じてはいけない

贋作を論じる場合に、必ず出てくるものに「箱書」というものがあります。それでは「箱書き」とは一体何なのでしょうか。通常、中に入っている作品の由来や伝承、作品の希少性などを箱に記入した訳です。箱は皆さんがご覧になるのは「桐」の箱が大半であると思われます。依頼を受けた権威のある鑑定家が作品の真贋について、本物であるという保証を与えたのが一般に鑑定書といわれるものですが、その延長線上にあるのが「箱書き」なのです。
多く、お茶の世界ではその箱書きが著名な茶人によってなされていると重視され、茶道具の売買において良い「箱書き」の作品の価格は非常に高額になることがあります。中には価値の半分を箱が占めている場合もしばしば見られます。ですからいかに箱書きが茶道の中において重要かお分かりになると思いますが、それだけに作品が高名な作家のもので、価格が高額であればあるだけニセモノが多くなるのもこの世界の直視すべき現状なのです。

まず箱と中身が揃っている本物の茶碗があったら、それらはまず悪い人たちにかかりますと別々にされる運命にあるといってもよいでしょう、なぜなら「よい箱」には他のニセモノの茶道具が入れられ、「本物」の茶道具は新しく箱書きを権威者にしてもらい、その箱に入れられるからです。
一組の本物の作品があれば2倍儲かることになります。箱書きはその筋の鑑定人に依頼すれば書いてもらえます。始めは本物を持ってゆき、きちんとした鑑定人に依頼して本物として箱書きしてもらいます。ところがそうした権威者が書いた本物の箱でも、その箱にニセモノが入れられれば話は別です。いとも簡単に「本物」としてその作品は売られるというわけです。

たとえば、さらに話を敷衍させて考えてみると、本物の茶碗が一つあれば、箱は 依頼さえすれば大げさではありますが、無数に作れるのです。何回も箱書きに出せば良いわけです。依頼されたほうは作品が本物であればその旨を書いた箱を作らざるを得なくなります。大げさですがそのつくられた無数の箱書きされた箱に贋物の茶碗が入れられれば、贋作セットは無数にできてきます。ですから「箱書き」する方だけが儲かり、一方で「箱書き」の権威は落ちるという不思議な現象がおこるのです。

このように贋作は作られ、常に市場に氾濫してきます。箱書きが良い場合は中の作品を疑えといわれるゆえんです。

先ほど箱は「桐」でできたものが多いと書きましたが、じつはここにも鑑定のポイントが隠されています。現在の桐の箱は大体江戸時代の中期以降に使われだしたようです。その前は杉の箱に収められるケースが多く、そこに鑑定のおもしろさがあります。すなはち江戸前期に活躍した茶人などの箱書きが「桐」箱に書かれていることはないのです。もしその箱書きが本物であるなら、当然のことですが「杉」の箱に書かれていなければならないのです。
江戸時代中期ころまでの古い陶磁器の保存には杉の箱が使われ、そこに購入した年号などが書かれていることが多いのです。もちろん杉の箱は現代でも作ればありますが、桐の箱で江戸前期の箱は私の知る限りありません。ちなみに鑑定書にあたる「折り紙」や箱書きというものは、詳細ははっきりしませんが、江戸時代前期の本阿弥光悦あたりから始まったとされています。

以上のようなことから古美術・骨董業界では、あまり箱を重視する風潮は少なく、中身である作品のよさによって判断する傾向が強くなってきています。箱はあくまで保存用の容器として見る風潮が強くなったように思われます。今後、作品本来の美しさ、素晴らしさを重視してゆくことがより重要になってくるでしょう。

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