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骨董で贋作をつかまないシリーズ

日本骨董学院・学院長
東洋陶磁学会・会員
日本古美術保存協会・専務理事 細矢 隆男

「授業料」を惜しむな

前回は人間関係を大切にすることが良い古美術品・骨董品を手に出来る重要な要因の一つであるということをお話いたしました。今回もそれに関連したお話をいたします。

「授業料を惜しむな」という事についてお話いたします。

私は現在、東京で「日本骨董学院」という古美術・骨董の知識を皆さんにお教えする学校をやっておりますが、今回のテーマは学校に払う授業料とは内容が少し違います。ここでは何かを教えてもらう時のお礼のようなものとお考えください。

私もかつて学生であったころに、かねてから古い時代のものが好きだったこともあり、近所にあった骨董屋さんに顔を出しては見せていただきながら、いろいろ教えてもらいました。高校3年生であった私には、思いがけないほど面白い話が聞けてそれが楽しくてよく通ったものでした。ところがあるときを境にご主人があまり話をしてくれなくなりました。どうしてだろうかと考えたのですが、どうやら私がちっとも買う気配がないので、疎んぜられたようなのです。ですが高校生の小遣いなど、たかが知れてはいますけど、前から気に入っていたお顔のよい室町時代頃の古銅で出来ている雰囲気のよい仏像(といっても七福神の寿老人)があったので、これはいくらですかと思い切ってきいてみたのです。そうしたらいくら持ってるのかと反対にたずねられたのです。

「3,000円です」と正直に答えました。当時の大学卒業の新入社員の初任給が25,000円から30,000円程度でしたから、決して今の 3,000円とは違って、自分が溜めた小遣いは決して少なくない金額だったと思うのですが、ご主人は、う~んといってしばらく黙っている。無理かと思って諦めたとき、君ははじめて骨董品を買うのか?と聞かれました。そうですと答えると、よしそれでは売ってやろうと言ったのです。きっともっと高かったのでしょう。それが人生最初の骨董買いでした。気持ちのよいご主人の心意気。そのときに教えていただいたのですが、骨董でも、それ以外のなんでも、いろいろ人から教えてもらった時にはお礼というものが必要だということでした
。特に骨董の世界では、貴重な知識を得るのに相手は大変な苦労をしたり、失敗を繰り返しながら得た知識を教えてくれるのだから、それに対してお礼をすることが礼儀なんだということを教えられたのです。ご主人はそのお礼のことを「授業料」といってました。

それ以来、私は何かを教えてもらった時にはどんなときでも授業料を払うことにしています。もちろんお金で払うわけではありません。たまにはなにか欲しいものがあったら、安いとか高いとかに関係なく買うことそのことが相手に対する「授業料」なのです。またはあるときはお菓子を持ってゆくとか、ジュースを買ってゆくとか、要するに感謝の気持ちがそれなりに伝わればいいのです。若いときにいい経験をさせていただきました。骨董屋さんは遊びで店を開いているわけではないのです。仕事でやっています。家族もその収入で養っています。ですから真剣勝負の世界なのです。相手の好意に甘えていてばかりではいけないのです。

そのことを高校生の時に体験してからは、お世話になったり、貴重なお話を伺ったりしたときは、きちんと相手の方にお礼をするようになりました。人間関係が円滑に進むようになりました。そしてその結果かどうかはわかりませんが、段々と良い骨董品が手に入るようになりました。日本では知識への対価を払うということはなかなか実践できにくいことですが、そのことを学んだことは、別な意味でも大きかったと思っています。

やはり人間関係が大切だという一例でした。

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