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インターネット公開文化講座

文化講座

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古美術・骨董の愉しみ方

日本骨董学院・学院長
東洋陶磁学会・会員
日本古美術保存協会・専務理事 細矢 隆男

『道楽』と『趣味』の違い

前回は骨董品の経済的価値について、自分の体験から書いてみました。しかしこれはあくまでもうまくいったケースですし、ブームという偶然も作用してのことでしたので、意図してできることではありません。

今思うには、学生のころに私が刀剣の勉強を通して学んだことは、自分が美しいと思うものを徹底的に勉強することが大切なんだといことでした。何かを学ぶチャンスというのはそのほんの限られた一瞬のチャンスをどう掴むかということでしかないのです。「いつでも勉強できる。また後で勉強しよう」と思うのはだめなのです。「いつでも」とか「また」というのはないのです。「鉄は熱いうちに打て」ということわざどおりに、思いついたら勉強することが大事です。
何でもそうですが、人の一生はそのままずっと続くわけではありません。いつか・・という思いには、永遠にできなくなるという可能性を大きくはらんでいるのです。

私には古美術・骨董を勉強してゆくうちに学んだ人生訓がいくつかありますが、自分にとって一番大切なことは、

  1. 勉強しようと思った分野はすぐ勉強する。
  2. 楽しいことからすぐ実行する。
  3. 感動するようなものに出会ったら、買える範囲のものであれば必ず買う。買わないとわからない。
  4. 高額なものを買いたいときは一晩考えてから買う。

理由はすべて、あとで「悔いない」ためです。あとで楽しもうというのも、意外と時間がなくなったり、お金を使ってしまったり、いろいろな理由で実行不能となる可能性が大きいのです。

ところで私の古美術の先生である武田先生は、学生の私に「道楽」と「趣味」の違いを知ってるか?と徳利を傾けながら尋ねたことがありました。
どうやら自分の経験かららしいのですが、「道楽」は自分の所得を上回る出費を伴うもの、あるいは借金をしてもというもの、「趣味」は所得の範囲内、小遣いで楽しむ範囲のものというのが先生の言わんとしようとすることのようでした。自分の所得を上回る出費は、私もまさに刀剣で経験したことでしたが、よいものを手にすると、出費が先行しても月賦で30回払いのときも、頑張らねばという気持ちが起きてくるのが不思議です。それが自分の活力にもなるし、良い美術品は自分に力を与えてもくれるのです。 すなはち「道楽」か「趣味」かは、本気で取り組むか、そうでないかの違い、真剣さの違いかもしれません。

また古美術・骨董の目利きに関していえば、お金はたくさんあってもダメなのです、ないほうが目が利くようになる。あの有名な書道家で料理人、美食家、陶芸家で古陶磁器に通じた北大路魯山人も「金持ちに目利きはいない」とまでいっております。私の経験でも、金がないほうが集中して物が見れます。ないからなんとか安くなるように真剣に折衝する。少しお金があるとすべてが散漫になる。集中できない。いい加減になる。どうやら人間とはそういうものらしいのです。

欲を出すと失敗します。これは安い、この骨董商のオヤジはこの作品の価値を知らないんだなとか思って買うと、それがとんでもない贋物であったりします。欲が眼を曇らせる。よく考えてみれば、骨董商が素人に「これは将来儲かるよ」といって儲かるものを渡すはずもありません。自分(骨董商)の儲けが優先します。そんなにこの世界は甘くありません。

それではどうしたらいいのか。考えてみれば、美術品を買うという行為は、対象が古美術品であったり美術品であったり、すなはちそれが美しいからに他なりません。当たり前といえば当たり前のことです。その初心に立ち返ればいいのです。先ほど書いた3番目ですが、感動するようなものに出会ったら、必ず買う、ということに立ち返ればいいのです。自分が心から美しいなあと感じ、感動したら買えばいいのです。

掘り出そうとか儲けようとか、欲で美術品を見ないことです。素直な気持ちで古美術品に接することが骨董を心から楽しむ秘訣なのです。

先の先生の「道楽」の話には、もう一言最後に先生が付け加えたことばがありました。「女道楽はあっても、女趣味というのはないんだ、女性は恐ろしいぞ」というのがそれでした。以後自戒の言葉として私の心の奥にしまってある、先生の遺言のようなことばでした。

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