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インターネット公開文化講座

文化講座

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古美術・骨董の愉しみ方

日本骨董学院・学院長
東洋陶磁学会・会員
日本古美術保存協会・専務理事 細矢 隆男

北大路魯山人の民芸攻撃  2つの美学論

北大路魯山人は1883年、京都上加茂神社社家、北大路清操の次男、房次郎として生まれました。生まれる前の父の死や、生まれてすぐの母との別離。その後7歳まで養子縁組を繰り返すなど、幼年時代はきわめて不遇でした。後に古美術への造形を深めるとともに、美食、料理にのめりこむようになりました。また39歳で会員制の昼食会「美食倶楽部」を発足させました。

1925年43歳の時、美食倶楽部が発展し「星岡茶寮」を開業し、そこで使用する陶磁器を中心に製作するようになりました。その後多くの作品展や展示会で名声を獲得し、魯山人の作品は破格の値段で取引されるようになり、現代の巨匠といわれるまでになりました。(人間国宝指定を1955年(72歳)固辞した)

その魯山人が1930年にタブロイド版の「星岡」に「柳宗悦の民芸論をひやかすの記ー帝展工芸評を読みてー」を発表しました。
民芸理論のいくつかの重大な矛盾と問題点を鋭く指摘した点では、極めて注目に値する内容といえます。魯山人が「柳宗悦の民芸論をひやかすの記ー帝展工芸評を読みてー」で指摘したことは、以下の3点に集約できます。

1.柳自身の実生活と主張・理想の乖離(かけはなれていること)

魯山人はいいます。「柳氏は豊かな生活をしており、民衆の生活とはかけ離れている。家、服装、持ち物、乗り物など、すべてが民衆レベルではない。また柳氏の夫人は声楽家であり、郷土の歌舞を顧みないで外国人の声色を使う兼子夫人に注意を与えるべきだ」と指摘します。
民衆の底辺から苦労の末に這い上がった魯山人にしてはじめていえる言葉ではないでしょうか。つらい幼年時代を経験した魯山人には、そうした経験を持たない柳が平民について語ることは、極めて許しがたい行為に思えたに違いありません。

2.柳は上手をどの程度知っているか疑問

「上手がわからないから下手に走ったのではないか。下手には命があり、純真であり、無欲な美があるというが、上手にも同じ心がある。上手の作品を鑑賞できる心眼・能力があればやってみよ。こちらにはそれらの品がある。もし識者とみなすべき確証が得られれば、君に跪こう。信者となり跪く理由はいうまでもなく、氏の上手物下手物に対する比較研究上の理論が成り立つからであって、彼の下手物を喜ぶこころが間違いではないということ、また彼のいう下手物の価値を認めてよいということになるからである。
床の間より台所へを高唱し、実用安価を工芸の根幹なりと主張する一方において、自己の最も是認する同人浜田氏(浜田庄司)作土瓶15円、醤油注ぎ1個5,6円の売値を平気で許しておるがごとき行為は大いに彼らのいうところと矛盾している。富本氏(富本憲吉)しかり、河井氏(河井寛次郎)しかり。」

土瓶1個3銭から5銭程度の時代に、15円の浜田の土瓶は現在の価格に直すと75万円前後となります。これは当時でも法外といえる値段で、民芸の中で生活する庶民では、到底この「民芸品」は買うことができないという矛盾を抱えているということになります。

3.柳のものを見る観点

「帝展工芸作品を見るのに柳氏は2日もかけた。私なら1時間、多くても3時間あれば十分だ。いかなる芸術といえども線をもって成り立っていないものはない。たとえ1寸でも2寸でもその線を凝視するとき、もしその線にして、真美なく、純に欠くるあり、賎しく弱く俗悪、ただ虚飾存するのみときては、あえて全体の作振りなど見るまでもない。そうした習慣を持ち給え。」ここにはいみじくも魯山人の物を見る方法が述べられています。書や絵画などにも才能を発揮した魯山人だけに、線の美しさにこだわるその姿勢には揺るぎない姿勢を感じます。

民芸運動が生み出した「他力本願」的の生き方と魯山人の「自力本願」的生き方は、ある意味で正反対の生き方であり、両者とも美という計り知れない世界の一側面を表しています。魯山人の生き方を「禅宗的」と解釈する方法もありますし、柳の生き方を「浄土宗的」と表現する方法もあります。

魯山人のめざす自力世界は、自己の内に神仏を求め、ひたすら座禅に向かう厳しい精神性の世界をめざす禅宗の修行そのものを思わせます。ある意味で天才道ともいうべき独自の世界を求める姿は、孤高の人間の生き方をうかがわせます。自力であるがゆえの非凡さであり、執着心があるがゆえに独自の美をめざすわけです。独自の美は斬新さ、有銘であることにつながりますが、ここを無事通過できれば一如の境地、自在心の芸術、無執心の心に至れるのです。

柳のめざす他力世界はまさに絶対他力の阿弥陀如来の世界です。南無阿弥陀仏を唱えるだけで極楽に往生できるという、法然上人を経て親鸞上人によって広められた仏教の教え(浄土真宗)です。ただひたすら念仏を唱えるという、ただそれだけで極楽往生できるという、ありがたい教えとされています。

民芸の工人たちも、ただよい作品ができることだけを願って、ただひたすら作り続けること、これが阿弥陀への念仏にあたり、最終的にすばらしい作品を生み出せるようになる重要なポイントだと柳はいいます。つまり柳の美学は無執心の美学であり、庶民道、やさしさ、自分を主張しない無私の、空の、無銘の美学であり、そこにおいてこそ、美と自分が一如となれる自在心の芸術境地に達することができるのです。

柳の民芸論はある方向で自然志向であり、魯山人の芸術論も平安時代以来の日本の美学、侘び、寂びの美学、琳派の美学に裏打ちされています。お互いに「日本人の美意識」を持った美の探究者であり、どちらが正しいとかの判断は下せません。
それほど美の世界は奥が深く、また幅も広いといわざるをえないのです。

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