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インターネット公開文化講座

文化講座

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古美術・骨董の愉しみ方

日本骨董学院・学院長
東洋陶磁学会・会員
日本古美術保存協会・専務理事 細矢 隆男

美しさがわかる眼とは 美女と美術を見る眼

私は昔から古美術の世界に親しみ、楽しんできましたので、どちらかというと古い作品に目がいってしまいます。どうして古い作品に目がいくのでしょうか。
先祖というか昔の人たちの作った物への愛着というか、いとおしさみたいなものがきっとあるのかもしれません。また古いものは、発掘品をのぞいて、人々の生活の中で使われてきたものであるし、使われてきたということは、その作品に魅力があるし、また使い勝手がいいからなのです。また飾って美しいから大切にされてきた歴史があるのです。

考えてみると、こうした古い作品は時代の求める「美」のフィルターにかかってきたとも言えるのです。いつの時代でも美しいと思われ、また使い勝手がいいと思われ、大切に保存、使用されてきた作品たち、こうした作品は時代が変わっても、誰が見ても「美しい」という美の普遍性をもっているのです。
古美術とか骨董という作品はそうした独特の美の香りを持っているのです。それは人間だけが感じる美しさなのです。

昔、ある初老の男性から、美術の美しさを理解する秘訣を教えて欲しいといわれました。そのとき私はこう答えました。「美がわかる秘訣というと難しく思われがちですが、それは美人を見つける秘訣を教えてくれといわれているのと同じです。たくさんの女性を見ていれば、おのずと自分が美しいと思う女性が現れてくるでしょう」と。その男性は恥ずかしそうにしていましたが、まさにその通りなのです。現代美術も古美術も原理原則はまったく同じです。見慣れることです。数多く見ることです。それも注意深く見ているかどうか、また注意深く見ようと努力するかどうか、すべてはそこにかかっています。その過程をいかに短くできるかはその人のもって生まれた審美眼とか、興味、学ぼうという熱意、意欲にかかっていると言ってよいでしょう。
ですから「美」とか「美術」とか難しく思わないで、単純に感動するものを探せばいいのです。いろいろな絵を見て、その中からこの絵はいいなぁと思えばいいのです。まったく難しくありません。
たとえば、あのお爺さんの眼は年季が入っている、といいます。この「年季」はキャリア、経験そのものです。どれだけたくさんの作品を見てきたか、また見ること、買うことによってどれだけ多くのことを学んできたか、それが「年季」といわれるものです。この「年季」は一朝一夕にはできるものではないのです。

こうした年季を積んだ人のことを「数寄(奇)者」といいます。風流であるとかめずらしい人という意味ですが、奇という字はめずらしいとか数少ないという意味があります。何万人に一人とか何十万人に一人とかのめずらしい美の愛好家を「数寄(奇)者」ともいうのです。

絵を見て感動する人はたくさんいます。以前「藤田嗣治展」が東京と関西で開催され、入場制限するほどの大変な人出でした。彼の作品を見て「いいなぁ」と思う人は多いでしょう。しかし藤田の作品に惚れ込んで、財産を投げ打って真作を購入したり、彼が有名になるまでの人生や絵画制作の舞台裏や、鑑定のポイントを識っている人となると、その数はぐっと少なくなるでしょう。その数少なき愛好者たちが「数寄(奇)者」といえるのです。

そうした「数寄(奇)者」はある意味で自分の人生をそれに賭けている。それだけ真剣だということです。真剣であればこそよい作品に出会えたときは心から感動します。ですから真剣に美術を勉強してみようという方は、ある意味で「数寄(奇)者」になろうと努力していただかなければなりません。

「美がわからない」という方々は「わからない」のではなく「わかろうとしない」か、ないしは自分にはわからないだろうとはじめから諦めていらっしゃる方々であるように思えるのです。

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